お疲れ様です。
周年大会は毎年身が引き締まる思いです。
ボンバー奥野です。
周年大会は一年の総決算でもあり始まりでもある。
盆と正月……ならぬ、大晦日と盆が一度に来るような、そんなイメージだ。
年間では一番のビッグマッチっていう位置付けだし、自ずとカードは豪華な試合ばかりが組まれる。
毎年そこで感じたことっていうのもよく覚えている。
デビュー3戦目で迎えた8周年はオープニングマッチで榎並さんとシングルマッチだった。
初有料興行だったこともあってえげつないくらい緊張してて、
ロープワークもおぼついてなかった。あと、頭突きが死ぬほど痛かった。
メインはドングリー藤江とマロ栗山のシングル王座戦。
試合後のマイクで言っていた「関心」というワードがやけに心に残っている。
翌年、9周年。
デビューからちょうど1年くらいでDAICHIの持っていた“I LOVE紫焔”のベルトに挑戦。
コスチュームも入場曲も爆弾も新調、あと何故か髪の毛も赤くなったりと気合い入りまくりだった。
挑戦に至った経緯も正にタナボタ的なものだったし、
試合も空回り気味だったけど1年でここまでこれたのは上出来だと思っていた。
ただ、当時4年目くらいの谷口さんがメインでシングルに挑戦していたのを目の当たりにして、
自分もこの位置まで早く上がらなければとも思った。
更にその翌年が10周年。
松本・川端と組んで榎並・尾久・DAICHIとの6人タッグマッチ。
試合どうこうより、コロナが流行し始めていた大変な時期に無事大会を開催出来たことが嬉しかった。
あと、今だから思うことは試合前に撮っていたインタビュー。
ちゃんとは覚えてないけど、15周年20周年でメインに立つ、みたいなことを言ったはず。
11周年……、は都合で参戦出来なかった。
出先でTwitterのタイムラインを追いながら何とも言いようのない焦りを感じていた。
なんか振り返ったら3回の周年大会のうち2回はDAICHIとやってるんだな……。
それは一旦置いておいて、今年は第3試合。
10周年くらいまでのキャリアは出来過ぎだなんて思っていたけど、
正直今の俺は出来てなさすぎる。
試合順が全てというわけじゃないけど、一つの指標ではある。
もちろん、周年だから頑張るっていうのは論外で、1年の積み重ねが全てこの大会に返ってくる。
それに、10周年のインタビューで言った15周年で〜っていうのは何も15周年までには、なんていう意味じゃない。
11周年だって、12周年だってメインに立つつもりでいた。
でも今はこの位置。
そこまでの結果を残せなかったのだからそれは受け止めるしかない。
結果もあるんだけど、何より自分自身の進化が止まっていることが不甲斐なくてしょうがない。
上に行くために自分に何が足りないのか。
それを考えすぎるあまり自分を見失ってたとさえ思う。
考えすぎるとドツボにハマる性分が出まくってななぁ、と。
……まぁ、こんな自己分析すらやりすぎるとまた良くない気がするからこの辺にして。
もう長いこと足踏みしてるのはここで終わりや。
この大会で俺は今までの俺と決別する。
そしてDAICHIとこの位置で争っている俺とも決別する。
ここ数ヶ月ヤツに苦しめられてきたのは紛れもない事実。
恥もかかされ続けてきた。
一つもやり返せなかった自分にもハラワタが煮えくりかえっていた。
でも、すべてはここで全部を、いや、全部以上をぶつけるため。
不甲斐ない現状をひっくり返すため。
勝つことは当然、そして、本当の俺を、“ボンバー奥野”を取り戻すために。
燃えに燃えに燃えて!!
12周年記念大会!!!
いや、12周年イヤーを!!!!
プロレスリング紫焔を!!!!!
大爆発させます!!!!!!
やってやらああああああ!!!!!!!