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痛みを感じぬ輩達の巻

2020.04.29
マロ栗山

マロじゃ。
先日、当ブログにも頻繁に登場してきおる、私の後輩である倉内の野郎が興味深い話をしてきおってのう。ブログの方にも少し触りの部分は書いておるのじゃが、一度スルーした内容を今回また蒸し返し、コラム一回分のネタを確保したいと思うておるわい。ふん。

 

 

 


「魚には痛点がないんですわ。」

 

 

 

 

これは衝撃的な一言じゃった。痛点、痛覚とでも言うのかのう。倉内いわく、魚には傷つけられたりした際、痛みを感じる感覚は無いらしい故、たとえ刺身にされるべく捌き調理されようが、痛みを感じる事はないらしいわい。これは虫にも言える事らしく、巷で言う畜生の部類でも、特に下層の、程度の低い生物には痛みを感じる感覚が欠如しておるらしいのじゃ。例えばこれも倉内が言うておったのじゃが、あの忌み嫌われる昆虫の代表格、群を抜いて俊敏な黒く油光りした、コードネームは「G」と呼ばれる輩がおるじゃろ。特に生命力に優れた奴は、首を落とされた位では死なぬ。まあ普通は首なんぞ落ちれば、痛み等様々な理由にて、ショック死のひとつでもするもんなんじゃが、痛点が無い故、まだその程度ではくたばらない
訳じゃ。しからば何故絶命するのか。首が無くなり口もおのずと失う為、飯を食う事が出来ず、餓死するらしいのじゃ。
また、魚も切りつけた際に暴れおるのは、痛みに対し断末魔のあがきを見せておる訳ではなく、ただの反射だそうじゃ。
そんな痛点の無い、鈍感な程度の低い輩に対し、やれ活け造りや、生物の授業において解剖は残酷だのとぬかす人間どもは、全くもって愚の骨頂じゃのう。魚どもは痛くないんじゃから、そんな無駄な配慮なんぞ無用なんじゃ。全く気分を害するわい。
まあ私自身も、倉内のこの言葉にて、かつてよりずっと背負っておった十字架が取れたようで、何やら溜飲が下がったというか楽になれたんじゃがのう。ふん。これからは、魚を心おきなく、今以上残虐な料理法にて料理出来るという事じゃわい。何しろ魚どもには痛点が無いのじゃからのう。痛みも感じる事なくくたばる事が出来るなんぞ、何と果報な畜生なんじゃ。有り難いと思わんと罰が当たるわい。ふん。

 

 

しかしながら、この倉内の「魚には痛点が無い」発言は非常に衝撃を受けたのう。その衝撃ときたら、かつて多感な時期に、子供はどうすれば出来るのかという事を知ってしまった時と双璧じゃ。そして最近は、事あるごとにこの「魚には痛点が無い」と言う言葉を多用させていただいておる。

 

 

諸兄らも、日本料理店や寿司店等で、活きた魚を捌く所を目撃する機会があれば、その捌かれる魚が暴れる様を見て、

 

 

 

 

 


「痛点がねえくせに、演技してんじゃねぇよ。気分を害したわい。」

等、哀れな畜生を鼻で笑ってやっていただきたいもんじゃわい。ふん。

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