”目上の人とのエレベーターを降りる時の『お先にどうぞ』”の必要性が全く理解できません。
“目上の人とのエレベーターを降りる時の『お先にどうぞ』“
昨今日本のサラリーマンたちの間では当たり前となったこの礼儀作法
起源は日本なのか、化学の発展した外国なのか、開発者の名前が「江零 米太(えれい べいた)」なのかまあそんなことは置いといて
この作法の意味が全くわからん。
そもそもエレベーターを先に降りれたからって感謝するのか。いやせん。絶対に。感謝とかそんな感情がそもそも起きひん。無状態だろう。限りなく無。綺麗な無。綺麗な無といえば、北海道に行った時に見た青い湖綺麗やったなあ。無になれた。また行きたいよね北海道!って、だからそんなことは置いといて
エレベーターを先に降りれた方がランクが上なんて、そんな格付け方式を考え出すその概念が理解できん。
そんな考えの持ち主がいたら私の思考回路はショート寸前今すぐ会いたいわのセーラームーン状態である。セーラームーン状態と言っても見た目が金髪2つくくりロングの三石琴乃声ではない。あ、セーラームーンといえば、USJ でやってるセーラームーンのタキシード仮面様に会えるアトラクション。そのタキシード仮面様のクオリティが激低やった。激低。激低〜もう微妙すぎて激引く〜。検索してみて目見開く〜。そんな流れももう幕引く〜。yeah〜。
いやだからそんな話は置いといってって
社会人になって5年
私が勤務してる会社はビルの22Fにあるんやけど
社員が100人くらいいる支店なので、まず間違いなく朝は誰かしらの上司か先輩とエレベーターが一緒になる。
早川部長にお先にどうぞ
渡辺設計長にお先にどうぞ
田垣支店長にお先にどうぞ
毎朝お先にどうぞの連続。
お先にどうぞの無駄遣い。
その度に思う
“目上の人とのエレベーターを降りる時の『お先にどうぞ』“の存在意義を。
たとえばもしこの世にウイルスがばら撒かれて人間がゾンビ化しだしたとする。
街中そこら中にゾンビがうろつき
吐瀉物を撒き散らし
アバアバ叫び
足を引きづりながら
吐瀉物を撒き散らす。
建物という建物がゾンビと吐瀉物に占拠された世の中
そんな中感染から免れてゾンビから逃げる私と早川部長。
最近のゾンビ漫画なら、共に逃げるのが、頼りなく背が低く自分のことを好きな気持ちを心に秘めるかわいい幼なじみ…がスタンダードだが
背はなんともいえず仕事は頼りがいがあるがタバコの吸いすぎで歯がまっ黄色の50代後半の早川部長…を連れて逃げる事に関してはこの際グッと目をつぶり
ビルに逃げ込む2人
上に行けばゾンビがいないだろうとエレベーターに乗り込み
22Fのボタンを押す。
そうなった時の”お先に行ってください”はどうか
たちまち”お先に逝ってください“になるだろう。
そんな時でも我、上司なりという顔で早川部長が先に降りようもんなら
数分後には身体が緑色に変色し足を引きづりアバアバ言って吐瀉物を吐くだけの上司になることだろう。
そうなったら威厳も糞もない。
ただの背はなんともいえず仕事は頼りがいがあるがタバコの吸いすぎで歯がまっ黄色の50代後半吐瀉物おじさんである。
そんな吐瀉物おじさんを泣きながら銃で撃つんだ
そしてその経験を元にゲームを作るんだ
タイトルは何かって?
もちろん
『バイオハヤカワザード』
そんな事を考えながら日々を過ごしております、アスカです。